~なぜ不動産会社が「美容師のシェアサロン」を買ったのか?数字で見る異色のM&A~
2026年6月23日、不動産業界で非常に興味深いM&Aが発表されました。 不動産大手のヒューリックが、フリーランス美容師向けのシェアサロンを展開するサロウィン株式会社(https://salowin.jp/company/ )を完全子会社化したのです。
日経新聞によると、買収額は100億円を超える見通し 。 一方、ヒューリックとサロウィンが公表した資料では取得額は非公表です。
つまり今回のM&Aは、「不動産会社が、美容室を100億円超で買収する」 という、一見すると意外な組み合わせなのです。
しかし、数字を詳しく見ていくと、ヒューリックがサロウィンに何を期待しているのかが見えてきます。
1.今回のM&Aを整理すると
買い手は、東証プライム上場のヒューリック。 売り手側の対象会社はロウィン株式会社(https://salowin.jp/company/ )。 サロウィンは2019年7月設立で、同年9月に原宿で1号店をオープンしました。 その後、
フリーランス美容師向けシェアサロン「SALOWIN」
個室型「SALOWIN Suite」
ネイリスト・アイリスト向け「SALON VILLAGE」
美容室開業支援「ALL SHARE」
小規模美容室向け「me by ,,」
などへ事業領域を広げています。
2026年5月末時点では、シェアサロンと開業支援を合わせて全国280店舗、利用するビューティシャンは約3,000人 まで拡大しています。
M&A概要
項目 内容 買い手 ヒューリック 対象会社 サロウィン 取得割合 100% 買収価格 100億円超との報道 公式発表 取得額は非公表 サロウィン設立 2019年7月 店舗数 約280店舗 利用ビューティシャン 約3,000人 現在の営業利益 約4億円 2031年目標店舗数 1,000店舗 2031年目標営業利益 40億円
取得額については、日経が100億円超と報じていますが、サロウィン側の発表では取得額は公表されていません。
2.100億円超は高いのか?
今回、最も気になるのがここでしょう。 仮に日経報道の最低ラインである「100億円」として考えてみます。 現在のサロウィンの営業利益は約4億円。 すると、100億円 ÷ 4億円 = 25倍 です。
つまり、単純計算では、現在の営業利益の25年分 に相当します。
もちろん、これは正式なPERやEV/EBITDA倍率ではありません。 サロウィンの取得価格、純有利子負債、減価償却、税金などの詳細が公表されていないためです。
しかし、M&Aの感覚として、「現在の利益だけを基準にすると、かなり高い価格」 と考えることはできます。
では、なぜヒューリックは100億円超を払うのでしょうか? 答えは、「現在のサロウィン」ではなく、「2031年のサロウィン」を買っているから と考えると分かりやすくなります。
3.ヒューリックが買ったのは「美容室」ではない
サロウィンを普通の美容室チェーンだと考えると、今回の買収価格は非常に高く見えます。 しかし、サロウィンのビジネスモデルは通常の美容室とは異なります。 美容室の場合、 「店舗を出す」 ↓ 「美容師を採用する」 ↓ 「美容師が施術する」 ↓ 「顧客から売上を得る」 というモデルが基本です。
一方、サロウィンは、美容師が自分で店舗を持たなくても独立できる「場所」を提供するプラットフォーム です。
つまり、サロウィンが提供しているのは、「美容室」ではなく「美容師が独立するためのインフラ」 と考えることができます。
ここが、今回のM&Aを理解する上で重要です。
4.わずか7年で280店舗
サロウィンの成長スピードを見ると、今回の買収価格が少し違って見えてきます。 2019年9月:1店舗 ↓ 2023年7月:70店舗 ↓ 2025年2月:86店舗 ↓ 2026年5月:280店舗 という急成長です。
特に2025年2月から2026年5月までの約1年3カ月で、86店舗 → 280店舗 となっています。 約3.3倍です。 これは通常の美容室チェーンとはかなり異なる成長速度です。
5.利用する美容師も3,000人規模へ
店舗数だけではありません。 2025年2月時点では、シェアサロンと開業支援を合わせて関与する美容室が150店舗、利用美容師は1,500人超でした。
それが2026年5月末には、美容サロン:約280店舗 ビューティシャン:約3,000人 まで拡大しています。
つまり、約1年3カ月で利用ビューティシャンも、1,500人 → 3,000人 と、おおむね倍増しています。
これはサロウィンが単なる「店舗ビジネス」ではなく、美容師のネットワークを拡大するプラットフォーム型ビジネス へ進化していることを示しています。
6.そして最大のポイントが「2031年40億円」
ヒューリック傘下に入ったサロウィンは、2031年までに、店舗数1,000店舗 営業利益40億円 を目標としています。
現在が、 店舗数:約286店舗 営業利益:約4億円 と報じられているため、数字を比較すると、
現在 2031年目標 増加倍率 店舗数 約286店 1,000店 3.5倍 営業利益 約4億円 40億円 10倍
となります。 ここが今回のM&Aの最大のポイントです。
7.営業利益を「10倍」にする計画
営業利益は、4億円 → 40億円 です。
つまり、10倍 を目指しています。 これを5年間で達成するには、営業利益の年平均成長率は約58.5%になります。 かなり野心的な目標です。
一方、店舗数は、286店舗 → 1,000店舗 です。 こちらは年平均約28.4%の成長率で達成できます。
つまり、店舗数を3.5倍にするだけでなく、1店舗当たりの収益性も大幅に高める ことが必要になります。
8.「100億円超」の買収価格が安く見える瞬間
ここで2031年の目標利益を使ってみます。 仮に買収価格を100億円とすると、 現在の営業利益4億円に対しては、100億円 ÷ 4億円 = 25倍 です。
しかし2031年に営業利益40億円を実現できれば、100億円 ÷ 40億円 = 2.5倍 となります。 もちろん、これは現在価値と将来利益を単純比較しただけなので、実際の企業価値評価とは異なります。
しかし、「なぜヒューリックが100億円超を払えるのか?」 という疑問に対する、一つの答えにはなります。 つまりヒューリックは、「現在の4億円の営業利益」に100億円を払ったのではなく、「将来40億円の営業利益を生み出す可能性」に投資した と考えることができます。
9.サロウィンは2025年にも大型資金調達
実は、今回のM&Aの前からサロウィンには投資家が大きな期待を寄せていました。
2025年2月、サロウィンはシリーズDとして約52億円を調達。 内訳は、第三者割当増資:約25億円 デットファイナンス:約27億円 です。
累計調達額は、約88億円 に達していました。
これは今回の100億円超という買収価格を考える上でも重要な数字です。 サロウィンは2025年時点ですでに、「次の成長に大きな資金を投じる会社」 として評価されていたわけです。
10.ただし「累計調達88億円=企業価値88億円」ではない
ここはM&Aの記事として注意したいポイントです。 サロウィンの累計資金調達額は約88億円。 今回の買収価格は100億円超と報道されています。 そのため、 「88億円で資金調達して100億円超で売却した」 という単純な話ではありません。
資金調達額には、株式による調達約25億円 だけでなく、借入約27億円 も含まれています。
また、資金調達額は企業価値そのものではありません。 したがって、「調達額88億円 → M&A価格100億円超」 という数字だけから投資家のリターンを計算することはできません。
むしろ重要なのは、「2025年の大型資金調達から約1年4カ月で、ヒューリックによる100%子会社化に至った」 という成長スピードでしょう。
11.ヒューリックは2023年からサロウィンを見ていた
今回の買収は、突然決まったものではありません。 ヒューリックは2023年9月、ヒューリックスタートアップ1号ファンドを通じてサロウィンに出資しています。 当時のサロウィンは、創業4年で70店舗 という段階でした。
つまりヒューリックは、70店舗のサロウィンに出資 ↓280店舗へ成長 ↓100%子会社化 という流れで、段階的に関係を深めてきたことになります。
今回の買収は、ヒューリックにとってCVC投資先を完全子会社化する初めての案件 とされています。 これはスタートアップ投資からM&Aへ移行する一つのモデルケースとしても注目できます。
12.なぜ「不動産会社」が美容室を買うのか?
ここが今回のM&A最大のポイントです。 ヒューリックは不動産会社です。
2025年12月末時点で、賃貸用不動産を全国250棟保有し、その46%が東京都心5区、59%が駅徒歩3分以内という強い不動産ポートフォリオを持っています。
一方、サロウィンの事業は、「美容師が働く場所」 が必要です。
つまり、ヒューリックの「不動産」 と、サロウィンの「美容師ネットワーク」 は非常に相性が良い。
ヒューリック自身も2023年の出資時点で、銀座や渋谷などのヒューリックの不動産事業とサロウィンの出店戦略には親和性があり、シナジー創出を目指すと説明していました。
13.ヒューリックの物件にサロウィンを入れる
例えば、 「駅前のヒューリック所有ビル」 ↓ 「テナントとしてサロウィンを誘致」 ↓ 「美容師が入居」 ↓ 「美容師が顧客を呼ぶ」 という仕組みを作ることができます。
通常の不動産賃貸では、「誰に貸すか」 が重要です。
サロウィンをグループ内に持てば、「美容師・美容サロンというテナント需要そのものを取り込む」 ことができます。
さらに、サロウィンが店舗を増やせば、 ヒューリックの物件への入居機会も増えます。 これは不動産会社にとって、非常に興味深い垂直統合です。
14.ヒューリックは「M&A会社」に変わろうとしている?
今回の案件を単独で見るのも面白いですが、ヒューリックの経営戦略を見るとさらに意味が分かります。 ヒューリックは2026年から2036年の中長期経営計画で、「不動産事業をベースとしながら、多様な成長事業を取り込む」 方針を掲げています。
2036年の連結経常利益目標は、3,000億円 です。
2025年12月期の連結経常利益は、1,729億円 でした。
つまり、1,729億円 → 3,000億円 へ利益を拡大する計画です。
不動産だけに依存せず、
ヘルスケア
観光
教育
環境
スタートアップ
その他の成長事業
などへ事業ポートフォリオを広げています。 サロウィン買収も、この「多様な成長事業」の一つと考えられます。
15.サロウィンの「店舗当たり利益」を考えてみる
現在の営業利益を約4億円、店舗数を286店舗として単純計算すると、4億円 ÷ 286店舗 ≒ 140万円 となります。
つまり、現在の営業利益を店舗数で単純に割ると、1店舗当たり年間約140万円 です。
もちろん、これは店舗ごとの実際の利益ではありません。 本部費用や事業間の収益構造、FC店舗、開業支援事業などがあるため、単純な「店舗別営業利益」とは異なります。 それでも、2031年目標を同じように計算すると、40億円 ÷ 1,000店舗 = 400万円 です。
つまり、 現在:約140万円/店舗 ↓ 2031年:約400万円/店舗 という水準になります。
これは、店舗数だけを増やすのではなく、店舗当たりの収益性を約2.9倍にする ことを意味します。 ここが2031年計画の難所でしょう。
16.「100億円超」のM&Aを成功させる条件
今回の買収が成功するためには、大きく3つの条件があると考えられます。
条件① 1,000店舗を実現できるか
現在約286店舗。 目標1,000店舗なので、あと約714店舗 を増やす必要があります。 5年間で考えると、年間平均約143店舗の純増が必要です。 かなり高い成長目標です。
条件② 営業利益40億円を達成できるか
現在約4億円。 目標40億円。10倍 です。 単純な店舗数拡大だけでは足りません。 高収益店舗の増加、稼働率向上、新規事業、開業支援、教育、SaaSなど、複数の収益源を育てる必要があります。
条件③ ヒューリックとのシナジーを出せるか
今回のM&Aの最大のポイントです。 ヒューリックには、不動産 があります。 サロウィンには、美容師ネットワーク
があります。
この2つを組み合わせることで、 「良い場所」 × 「美容師」 × 「顧客」 というプラットフォームを作れるか。
ここに100億円超の投資を回収する鍵があります。
17.サロウィンは「美容室版のプラットフォーム」になれるか
サロウィンの阿部友哉社長は、ヒューリックグループ入りに際して、IPOではなくM&Aを選んだ理由として、今後取り組みたいテーマに、
ビューティシャンと事業者向け業務基盤SaaS「BYOON」
物流・調達プラットフォーム
グローバル展開
などを挙げています。 さらに「10年以内に売上1,000億円」という構想も示しています。
ここまで来ると、もはやサロウィンは、「シェアサロン会社」 だけではありません。
美容師を中心とした、「美容業界のインフラ企業」 を目指していると見ることができます。
18.実は「売上高」より「流通額」に注目すべき
今回の案件で注意したいのが、「売上高」です。 サロウィンは2026年3月時点で、来期の流通額約400億円を見込む としています。 ただし、
流通額=サロウィンの売上高 ではありません。
シェアサロンの場合、美容師が顧客から得る施術売上などが「流通額」に含まれ、それをすべてサロウィンの売上として計上するわけではありません。
したがって、現時点で公開情報だけから、「サロウィンの売上高は400億円」 と書くのは誤りです。
むしろ、「来期の流通額400億円を見込む規模までプラットフォームを拡大している」 と表現するのが適切でしょう。
19.「100億円超」は売上ではなく、将来のプラットフォーム価値への投資
今回のM&Aを数字でまとめると、次のようになります。
現在
店舗:約286~280店舗 ビューティシャン:約3,000人 営業利益:約4億円 来期流通額:約400億円見込み
↓
2031年目標
店舗:1,000店舗 営業利益:40億円
↓
買収価格
100億円超との報道
この数字を見ると、 「現在の利益4億円に100億円超」 ではなく、「今後、営業利益40億円を生み出す可能性のある美容業界プラットフォームに100億円超」 という投資だと考えた方が、今回のM&Aの本質に近いでしょう。
20.今回のM&Aで一番面白いポイント
私は今回の案件で最も興味深いのは、「不動産会社が美容会社を買った」 ことではないと思います。
本質は、「不動産会社が、自社の物件を利用する新しい需要を自ら作り出そうとしている」 ことにあります。
ヒューリックは不動産を持っています。 サロウィンは美容師を持っています。
美容師には店舗が必要です。 店舗には物件が必要です。 そして美容師には顧客がいます。
この循環を一つのグループ内に取り込むことができれば、「不動産」→「店舗」→「美容師」→「顧客」 という新しいビジネスエコシステムが生まれます。
まとめ
今回のヒューリックによるサロウィン買収は、表面的には、「不動産会社がシェアサロン会社を100億円超で買収した」 という異色のM&Aです。
しかし、数字を並べると、その狙いが見えてきます。 サロウィンは、2019年:1店舗 から始まり、2026年:約280~286店舗 ビューティシャン:約3,000人 まで成長。
さらに2031年には、1,000店舗 営業利益40億円 を目指しています。 現在の営業利益約4億円に対して100億円超という買収価格は、現在の利益だけを見れば決して安くありません。
しかし、2031年の営業利益40億円を実現できれば、単純比較では買収価格は将来利益の2.5倍です。 もちろん、将来目標がそのまま実現する保証はありません。 だからこそ今回のM&Aは、「ヒューリックはサロウィンの何に100億円超を払ったのか?」 という視点で見る価値があります。
それは、美容室の店舗そのものではなく、3,000人規模のビューティシャンネットワーク 280店舗規模の出店プラットフォーム 美容室開業支援のノウハウ そして、今後1,000店舗・営業利益40億円へ成長する可能性 なのではないでしょうか。
M&Aの価格とは、現在の数字だけで決まるものではありません。「買収後に、どこまで企業価値を高められるか」 を買い手がどう評価するかによって、大きく変わります。
今回のヒューリック×サロウィンは、「不動産×美容×プラットフォーム」 という、一見すると異色ながら、実は非常にシナジーの大きいM&Aと言えるでしょう。
そして今後注目したいのは、100億円超で買ったサロウィンが、2031年に本当に営業利益40億円を達成できるのか。
ここに、このM&Aの成否がかかっています。